
このブログで、何度か喫煙に関することを書いた。
そしてまた、懲りずに書く。
実は1時間以上前に就寝したのだけれど、なかなか眠れず、なんだかんだ考えているうちに、「あれ?」と思ったのだ。
そう。
喫煙のこと。
単刀直入に言えば、自分が好きになった人には、喫煙してほしくない。
じわじわと健康を損ねていくのを目の当たりにさせられるなんて嫌だ。
「徐々に健康を損ねていく」というのは本当でしょう?
だって、「煙草を吸っているおかげで健康になってきた!」と言ってる人なんか、見たことないもん。
たとえば、自分が愛している人が目の前で煙草を吸ったら、本気で泣くかもしれない。
喫煙されたら本当に嫌だ。
どうしても煙草を吸うのをやめてくれなかったら、別れるかもしれない。
だって、その人が不健康になっていくのを見続けるのは嫌だから。
副流煙がどうこう言ってるわけじゃない。
「その人が自分の健康を損ねるような行為(つまり喫煙)をやめる手助けができない自分」を自覚させられるのが嫌だ。
人は大抵(というか必ず)、生まれて来た時は喫煙していない。
人間が、煙草を吸わなければ生きていけない動物だったら、きっと誰もが、火の付いた煙草をくわえて生まれてくる。
もしくは、生まれた直後に医師や出産に立ち会う人々が火の付いた煙草を赤ん坊にくわえさせると思う。
あるいは煙草の成分を何らかの形で与えるだろう。
でも、そんなことはない。
相手を愛していようが、いまいが、関係ない。
とにかく自分以外の人間が煙草を吸っていると悲しくなる。
自分を傷つけている人を見るのは辛い。
どうして煙草を吸わなければならないんだろう、と思う。
心配する。
煙草を吸う人は、周囲の人、それも複数の人達から、喫煙をやめるよう勧められたりしないんだろうか?
特に家族は何も言わないんだろうか?
喫煙すると、じわじわと、肺が汚れて、血液も汚染される……と思うんだけど、どうなの?
喫煙者の家族は、大人も子供も、喫煙する家族に対して何も言わないものなんでしょうか?
それを考えると、なんだかちょっと複雑な気分になる。
大抵の場合、喫煙には習慣性がある。
煙草を吸うことが慢性化すると、なかなかやめられない。
うちの父も、そうだった。
私は、思春期の頃、喫煙する父の周囲には寄りつかなかった。
だって、たばこ臭いし、副流煙を吸わされるハメになるし。
でも、煙草を吸う父に対して、「煙草をやめなよ」と言ったことは、あっただろうか?
2時間くらい前に、布団の中で眠ろうと努力しながら、「あれ?」と思ったのは、その点だ。
たった一つ、覚えているのは、父が「煙草を吸うくらいなら死んだほうがマシだ」と言ったこと。
だがしかし、父はやがて、喫煙をやめた。
医師から禁煙するよう言われたらしい。
ひょっとすると、「煙草を吸い続けると自分が思っているより早く死にますよ」といった感じのことを言われたからかもしれない。
亡くなる前の数年間、うちの父は、禁煙していた。
仕事の関係で元々肺が悪くて、それに重ねて心臓も強くなく、そのへんの治療を続けていたが、結局は亡くなった。
死亡に至った直接の原因は、肺ガンなどの肺の病気ではないが、長年にわたる喫煙は持病となっていた塵肺を悪化させることはあっても、改善させることはなかったんじゃないかと思う。
もう終わってしまったことだし、いまさらつべこべ言っても仕方がないのだけれど、もしも私が、「喫煙する父に近寄らなくなった頃」に、「煙草をやめなよ」と強く言ってやめさせていたら、それから先の父や私の人生は、少なからず変わっていたかもしれない。
煙草は嗜好品とみなされていて、吸うのも、吸うのをやめるのも、吸わないのも、個人の自由なんだけど、間違いなく健康を損ねるらしきものなのに、それを売ったり買ったりする人達がいるってのは、おそろしい。
そしてまた、喫煙という目には見えない形で徐々にかつ積極的に寿命を縮めている人達を目撃するのはとても悲しい。
追記:
誰かとつきあっていて、その人が喫煙者だったら、とりあえず「やめて」って言う。
でも、やめてくれなかったら、戸惑う。
状況によっては、戸惑いながらつきあい続ける。
喫煙する相手を見て、「あ~あ」と思い続けるのも嫌だし、とにかくどうにもできない自分が嫌だ。
これはもう、交際相手や友人だけじゃなくて、仕事の関係者なんかに対しても、似たような思いをいだく。
いつまでも健康でいられるように、不健康なことはしないようにしたほうが、年老いた時に楽に暮らせると思うんだけど、どうなの?
肉体なんて、黙ってたって、だんだん機能が衰えていくってのに、どうして大事に使わないのかしら?
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